07/14/2011
後悔
みなさま、こんにちは。Setsuです。お元気でいらっしゃいますか?
今日もおいしくごはんを食べられましたか?
今日も家族みんなで笑顔で食卓を囲みましたか?
今日もちゃんといってらっしゃい、のキスをしましたか?
今日もちゃんと "I love you" って言えましたか?
今日もちゃんとチクリと皮肉な言葉を入れて人を傷つけたりせず、オープンな会話ができましたか?
今日も大切なともだちのために祈ってあげられましたか?
今日も誰かと心からのハグができましたか?
今日も地球上の水と土と空気のために祈り生活しましたか?
今日も、あなたは生きていることの喜びをかみしめましたか?
私はなにをしても言っても常に後悔だらけで生きています。真摯に生きているつもりなのですが、それでも、もっとああしていれば、こうやって言っていれば、あんなことしなければよかった、言うんじゃなかった、こうすればよかった。。。。。と胃が痛くなるほど眠れなくなるほど具合が悪くなるほど果てしなく後悔します。で、一瞬後悔するだけではなく、ぐじぐじと何年経っても思い起こしては後悔したりします。それがどれだけ体に悪い事か、または無意味な事かわかっているので、今は無理にでもとにかくじゃあ、どうしたらよかったんだろう。。。と考えて自分なりに反省をし、学べる事は学び、不必要な後悔ではないのか冷静になり、そして最終的にはひとつひとつ手放すようにしています。なかなか難しいのですが、自分の悪い癖である後悔しっぱなし、の日々から脱出するべく練習しています。
ですが、やはり、後悔しても後悔しきれない事が人生にはあります。
つい先日NYのブルックリンで8歳のユダヤ人の男の子がサマーキャンプからの帰り道突然行方不明になり、街の人たち、ボランティアの人たちが集結したくさんの人たちが男の子がいなくなった夜から懸命の捜索をしました。ですが、残念な事に、翌朝のニュースで報道されたのは、その男の子の遺体が見つかって、それもばらばらにされていくつかの場所で見つかり、ひとり逮捕者が出たという内容でした。。。ご家族にとっては最悪の結果です。同じように子供がいる身には他人事ではありません。日本では悲しい事にこの種の事件がたびたび起こりますが、NYではめったに起こりません。こちらは6月に学校が終業式・卒業式を迎え、9月に新学期が始まるまで長い夏休みとなります。その間サマーキャンプに通う子供達も多いのですが、だいたい自宅から通える範囲にあるデイ・キャンプ(泊まりがけではなく朝から午後までの通いのキャンプ)に行かせるおうちも多いです。この男の子もそうでした。で、いつもならバス(スクールバスか公のかはわかりません)に乗ってお家に帰るはずが、その日はお母様がそこから7ブロック先のお医者さまのオフィスにいて、そこで落ち合うため、「はじめて」お母様がキャンプの方に、彼がひとりで歩いて帰ってもいいという許可を与えた日なのだそうです。(アメリカは、日本と違って小学校のある年代までは親もしくは家族の学校の送り迎えが義務づけられています。ある一定の年齢になってはじめて親の承諾つきで子供がひとりで登下校することが許可されます。キャンプやアフタースクールも同じです。)はじめて、ひとりで帰る事を親が許可した日、それもおうちではなく他の場所でおかあさんと待ち合わせ。そしてわかっているのは、その子が道に迷ってしまって訪ねた相手のひとりが、その犯人の30代の男性で、結局犯人の家に連れて行かれ、おおがかりな捜索を知ってパニックになってしまった犯人が思わずその子の命を奪ってしまったということです(今日現在わかっている内容になりますので、変わってくる可能性はあります)。その子のお父さんは、街頭のビデオにちらりと映った自分の息子が犯人の後をついて行くのを見て、「どこへ行くんだ!!??どこへ行くんだ!!何をしているんだ!!!」と何度も叫んで泣き続けたそうです。はじめてその子をひとりで歩いて帰っていいと許可したお母さんのお気持ちを想像すると、どれだけご自分を責めていらっしゃるだろう、後悔されておられるだろう、、、と本当に胸が苦しくなります。。。
命、に関わることの場合、「後悔」は果てしなく続き、そして暗い心の底に沈んで行き、消え失せる事はない気がします。
私の息子のKaiが小学4年生の時からの親友を数年前、まだ中学生の時に癌で亡くしています。白血病でした。すっごく元気いっぱいの黒人の子だったんです。頭が良くてね。うちのKaiとふたり学校で目立ってよく私も校長先生に呼ばれました(苦笑)。その子がある時から具合が悪くなり、突然学校に来れなくなって、そして検査の結果まさかの白血病、とご家族も突然の宣告をうけて。
ご両親とも親しくさせてもらっていたのですが、すごくよくできたご両親なんです。治る事しか信じていなかった。旦那さまはその子、ダルトンが自分の実の子供ではなくて奥様の連れ子さんだったのですが、自分の息子のようにかわいがって。良くなるといつもKaiに泊まりに来てもらってもいい?って言って電話をお母さんとして来て一緒に遊んでくれました。あんなに元気だった子がどんどん痩せていって、髪の毛がなくなって、歯が抜けていく様子を何も気がつかないふりをしていつもみんなで遊んでいました。調子が良い時は公園でフットボールのキャッチボールをお父さん、いとこたち、うちのKaiとやるぐらい元気だったんです。いくらでもそんな外見は忘れてみんなで一緒に大笑いしながら遊べました。
がんばって病院で勉強も続けて、お母さんも治ったら入れる学校もすごくリサーチして。ご両親はおふたりとも経験なクリスチャンで、旦那さまのお父様は牧師さんで、奥様のいとこの方も牧師さんになっていて驚いた覚えがあります。毎日祈って祈って。ダルトン自身、同じ病棟にいる他の病気の子供達の為に祈っていたと後から聞きました。私たちは入院退院を繰り返しているダルトンが退院をして元気を回復した姿しか見ていなかったので、あまり良くないらしい。。。と偶然会った親戚の方に聞いてから少し経ったある日、突然、少なくとも私たちには本当に突然、逝ってしまいました。
会社の帰りに家に向かってバスに乗っている時、ひさびさにダルトンのお母さんから電話をもらい、"Hi! How are you!? How's Delton?" と、きっとまた退院してきて一緒に遊んでもらっていい?という電話だと思って応答した私に帰って来た応えは「実はあまり元気じゃないの。。。」。「どうしたの??」と不安になって聞いた私の心臓は、実はもう既に痛いほどばくばくいっていました。そして、「。。。ダルトンがさっき、亡くなったのよ。」と彼女が言い終わらないうちに私は泣き出していました。「お葬式、来てくれる?ダルトンは最後までKaiに会いたがっていたの。」
私、ダルトンの事に関しては、死ぬほど後悔しているんです。たくさんたくさん。彼とKaiの為に私はもっといろんなことをしてあげられた、って。私、ほんとうに何もしなかったんです。亡くなる少し前に病院からダルトンがKaiと話したいと言っているの、とお母さんが電話をして来ました。あ、いいわよ、と彼が電話口に出るのを待っていた私に聞こえた声は、まるで全く知らない子供の声でした。それも、ちゃんとはっきりと言葉を話せない様子です。弱く、かすかな、消え入りそうな、否が応でも彼の様子が良くないのが伝わってきました。驚きを隠しながら泣かないように必死に押さえて「祈っているからね」と言うのが精一杯でした。そんな私に、ダルトンはやはり消え入りそうな声で "Thank you"と。その後電話をKaiに渡して話しをさせたのですが、ダルトンの声を聞いたKaiはショックで絶句して、ただ電話を耳に当てて立ち尽くしていました。
それがダルトンと話した最後です。
そんな声を聞いたのに、絶対にたいへんなことになっている、と思いながらも、いつものように退院して、なにもなかったかのように元気に「一緒に遊んでくれる?」「Kaiに泊まりに来てもらってもいい?」と必ず電話をしてくれるとすがるように信じていました。現実を知りたくなくて、まだ小さい実の弟さんや妹さんも菌をうつすといけないからと病室に入れないと聞いていたのもあって、お見舞いには行かなかったんです。とにかく、元気になって電話がかかってくるのを待とう、と。Kaiもその日からダルトンのことは口にしなくなりました。きっと同じ想いだったのだと思います。ですが、結局、やっとかかってきた電話は「Kaiと遊んでもいい?」ではありませんでした。
その日から、お見舞いに行かなかった事、もっとたくさんダルトンとKaiを一緒に遊ばせてあげればよかったことをただただ後悔し、申し訳なく思い、お葬式でもお父さんとお母さんにひたすら謝りました。謝りだした途端泣いてしまってちゃんと話せないぐらいになってしまって、本当に後悔しても後悔しきれませんでした。Kaiはお葬式でお棺に入ったダルトンを見た途端、「これはダルトンじゃない!」と小さく叫んでそれまで感情を表さなかった彼が泣き崩れました。それを見て、Kaiが親友だと知っているダルトンのご家族やご親戚がいっせいに泣かれました。。。今でも、Kaiはダルトンのことを話したがりません。「いつでも話したい事があったら話していいからね」と言ってあったのですが、ある日随分経ってからたった一度だけ、私にお願いがあるんだけど、と言って来た事があります。「僕、時々ダルトンが側にいる気がするんだ。だから、彼がどこにいるのか知りたくて、話しをしたくて一生懸命話しかけるんだけど、ぜんぜんだめなんだ。僕にはできないけど、マミーはできるよね。だから、僕の代わりにダルトンに聞いてくれる?だいじょうぶか、って、元気にしてるか、って聞いてくれる?どこにいるの、って聞いてくれる?」途中から目をまっ赤にしてそう言って来たんです。そこで、ダルトンに繋がってKaiにメッセージを伝えました。現実を受け入れられずに見ない振りをして普通に生活をしダルトンを待ち続けた結果、結局ダルトンだけでなく、Kaiにも私は本当にかわいそうな、申し訳ない事をしてしまいました。
今、病気のご家族やご友人がいる方、今、心身傷ついている友人がいる方、どうか、時間を作って何度でもお見舞いに行き、できるだけ話しをし、たとえお別れをすることになっても、少なくとも「会いに行っていればよかった」という後悔だけはないようにしてください。そして、やさしくしてあげてください。
病気の人たちだけではありません。今、元気に笑っている家族が、友人が、明日どうなるか私たちには知る由もありません。前にもブログで触れましたが、私はワールドトレードセンターの9/11のアタックの際、毎日通っていたオフィスが1ワートレ(ノースタワー)の90階にありました。あの日大勢の人たちが、突然、だいじな家族や恋人、友人達の元を去りました。今回の震災もそうです。あんなにたくさんの方たちが、突然何の前触れもなく大切な人たちから切り離されてしまいました。。。
魂は不滅で、何度でも生まれ変わると知っていても、その人とその人として二度と会えなくなる事は、心が張り裂けるほど辛く悲しい事です。恋しくて恋しくて、何度でも泣くと思います。どんなに後悔しても、彼らが逝ってしまってからでは、遅すぎるのです。どうか、今、笑顔でうんとやさしく彼らを愛してください。出かけるときは必ず笑顔で見送ってあげてください。けんか別れは悲しすぎます。一緒にうんと笑い合って涙し合って抱きしめてあげてください。後悔しきれない後悔を、みなさんにはしてほしくないです。どうか、「今」、だいじな方々にしてあげられることをしてあげてください。
Love, Thanks & Hugs,